侵蝕

濡れた瞳 / 誘う口唇 / 思い惑う心 / 焦がれる指先 / 絶対不可侵領域

 

どれくらい時間が過ぎたのか。

 

部屋に響くのは聞きたくもない自分の声と息遣いのみで、

体内を犯し続ける人からは吐息さえも聞こえない。

 

見えない表情、見えない心。

 

決して重ならない思いなら、

この夜とともに消えてしまえばいいのにと黒子は願う。

 

二人を包み込む深い闇に溶けて二度と見つけられないように、

傾かないのならせめて、雲影が月を遮ればいい。

 

そうすれば、すべてが闇に閉ざされるのに、と。

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、なに考えてんの?」

 

沈黙を破る声が後ろから響き、黒子は朦朧とした意識の中でその台詞を反芻した。

けれど思考能力の低下した今、それはほとんど雑音に同じで、黄瀬のどんな言葉にも答えられなかった。

 

軋む身体が体力の限界を訴えても、体内を蹂躙する肉杭が衰えることはなくて、

休むことはおろか、意識を手放すことさえもできない。

 

「心ここにあらずみたいなんスけど」

 

言いながら腰を強く引かれ、黒子から嗚咽が漏れる。

 

「ひっ、ぁ‥ぁ‥、んくっ、‥‥」

 

黄瀬のペースで身体を揺すられ続け、抵抗の言葉ももう出て来ない。

 

自分の腕では支えきれなくなった上体をシーツの上に投げ出し、

黄瀬に腰を高く持ち上げられ、後ろから穿たれるという醜態。

 

願うのはただ、早くこの辛苦のときが過ぎること。

 

腸壁を迫り上がる摩擦にぐっと黒子が唇を噛み締めると、

何も答えないことに焦れて、黄瀬が背中にペタリと覆いかぶさった。

 

汗ばんだ肌が重なり合う感触にゾクリとする。

 

「ねぇ、」

 

言葉を忘れた黒子の耳元へ、黄瀬がもう一度濡れた声を注ぐ。

 

「なに考えてるんスか?」

 

耳朶を甘噛みされ、付け根の裏に舌を這わされ、あまりの愉悦に全身が戦くのを感じた。

おそらく答えるまでは止むことのないそれに、黒子は耐え切れず口を開く。

 

「ふざけ‥な‥、でください‥っ、そんな余裕、‥あるわけないじゃ、ないですか‥っ」

 

精一杯の虚勢なのだろうそれに黄瀬は満足げに忍び笑い、

黒子の肩を掴んで強引に身体を反転させた。

 

「ひっ、なに‥ッ」

「ならよかった」

 

体内から突然ずるりと抜け落ちた熱に黒子が小さな悲鳴を上げても、

黄瀬はそれを無視して先を続けた。

 

「だったらここからがようやく、本当のアンタっスね」

 

じっと見つめる瞳が放つ妖しげな光。

意図的に強調された語尾。

 

この人はいったい何のことを言っているのか。

言われた言葉が頭を巡り、視線を逸らせなかった。

 

そしてその疑念に囚われているうちに作ってしまった隙が、

これまで頑なに避けていた状態を相手に許してしまう。

 

黄瀬の下、組み敷かれた身体。

艶めかしく見下ろす花葉色の瞳。

目に映る表情、吐息、熱。

 

それは今まで依怙地に拒み続けていた体位。

 

「やめてください黄瀬くんッ」

 

置かれている状況にハッとして、黒子は慌てて黄瀬の胸を押し返した。

 

「これだけはイヤだって何度も‥ッ」

「言ってったっスね」

 

怖いくらいキレイに笑った黄瀬に、

黒子の心臓がドクっと大量の血液を全身に送り込んだ。

 

「だからさっきまで大人しく言うこと聞いてたじゃないっスか」

「だったら‥っ」

「でももう、それもいらないっスよね」

 

そう言って黄瀬が大勢を整え、黒子の膝裏に両手を掛ける。

 

「やめッ、なにを言ってるんですか‥ッ」

 

痛みと苦しみの狭間で快楽を貪ることの恐怖に怯えて黒子が抗えば、

それを非難するように黄瀬が真剣な瞳で言う。

 

「それはこっちの台詞っスよ、アンタがこの体位キライだなんて聞いたことないんスけど、むしろ好きなんだと思ってた」

「ち、ちが‥ッ」

「違わないっスよね?」

 

強圧的な視線で見つめられ、黒子は言葉を失う。

 

「素直に感じたらいいじゃないっスか、なんも考えられないくらいもっと」

 

黄瀬がゆっくりと律動を開始して、黒子の肢体が震撼する。

 

「やっ、‥ぁ、‥イヤだ‥っき、せくんっ‥‥本当に、‥ァッ‥やめてください‥っ」

「もう遅いって、それにオレだって好きなんスよ」

 

その台詞に黒子の胸がドキリと高鳴る。

鼓動が急速に上がり、シーツを掴んだ指先に反射的に力が籠った。

 

黄瀬はそれを知ってなのか意味ありげに笑い、

気を持たせるように唇を寄せたあとで、耳元へ囁く。

 

「この体位」

 

薄っすらと浮かべた笑みに怒りが込み上げるよりも、

あり得ないと分かっていて、それでも期待した自分に唾棄した。

 

両脚を左右いっぱいに開かされ、躊躇なく奥へと突き進んだ熱と、徐々に激しくなる腰使い。

誰に抱かれているのかを視覚で認めてしまえば、きっともう止められなかった。

 

「ん、‥はっ‥‥う、っぁ‥‥‥やっ‥ァ‥‥っ」

 

揺さぶられるままに声を押さえられず、

両手を伸ばし、背中に縋りつき、もっともっととせがみ、

先ほどまで拒んでいたのが嘘のように、目の前の人を欲した。

 

この人には絶対に触れさせない場所があることを知っている。

それに触れるにはどうしたらいいのか、どうしたら手に入るのか。

 

そんなことを一途に考えながら抱かれる姿はさぞかしみっともなく映っていたに違いなかった。

 

けれど、前後不覚の中でふと焦点を合わせた先にあったのは、

自分と同じように乱れた姿態を晒す相手の影だった。

 

恍惚とする世界の中にいて、それはきっと願望だった。

それでも黄瀬の吐息が、流れる汗が、身体中に纏わりついて黒子から離れなかった。

 

これまで何度も情事を重ね、

そのたびに冷静な目で快楽だけを貪っていた相手が、今はなぜか違って見える。

 

濡れた息遣いも、洩れる微かな声も、絡む腕の強さも、

すべてが今までに見たことがないほど扇情的だった。

 

伝う汗で張り付く髪を両手で後ろへ流した黄瀬の仕種に、黒子の腰がぞわりとし、

その姿から目を逸らすことができなかった。

 

「ん‥、ぁ‥」

 

心とは裏腹に求めていた人を、心から求めはじめる感覚に恐怖する。

予期していた最悪の事態。

 

それでももう止められなくて、

高揚する身体と思い、重なり合う肌と鼓動、交わる吐息。

 

意識した瞬間、溺れた。

 

「ァ、ァ、ハッ‥‥黄瀬く、ん‥‥っ、もうッ‥‥」

 

そして何もかもがどうでもよくなったとき、

黄瀬の唇がそれを待っていたようにゆっくりと動く。

 

「なら、好きって言いなよ」

 

甘く紡がれたその言葉に黒子は息を飲んだ。

 

いま、この人はなんて‥?

聞き間違えだと信じたくて、黒子の頭にそれだけが浮かぶ。

 

けれど、現実を突き付けるように黄瀬が再び口を開いた。

 

「ほら‥、早く、好きって言いなよ」

 

黄瀬の唇が耳元に寄せられて、その声が脳髄を刺激する。

 

まさか本気でそんなことを言っているのか。

言わせてどうするのか。

 

心が読めない。

思考が追い付かない。

 

それを口にしてどうなるというのか。

きっと、どうにもならない。

 

なぜならそれは、黒子にとってだけではなく、黄瀬にとっても正しく 

 

 

 

 

 

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