侵蝕

濡れた瞳 / 誘う口唇 / 思い惑う心 / 焦がれる指先 / 絶対不可侵領域

寂寞として物音もしない夜だった。

 

すべてを飲み込むような暗闇の中、

迷い人に手を延べるように月だけが柔らかな光を落とす。

 

「んっ‥‥ハッ‥‥ 、ァッ‥‥」

 

その夜陰に紛れて響く、甘く濡れた吐息。

 

無造作に閉められたカーテンの隙間から差し込む一筋の光を仰ぎながら、

黒子はただ一心に、月が早く傾くことを願った。

 

どうか、今夜だけは、どうか早く、と。

 

 

 

 

絶対不可侵領域

 

 

 

 

 

 

 

「声、もっと出しなよ」

 

胡坐を掻いた黄瀬の上に乗せられて、背中越しに囁かれる。

顔は見えなくても、その声音からどんな表情をしているのか窺える。

 

「はッぁ、‥‥る、さい‥です‥‥っ」

 

声が洩れないように塞いでいた手を離して言い返すと、

その隙を狙って黄瀬が下から強く突き上げた。

 

「ひっ‥‥、んくっ‥‥」

 

嬌声を飲み込むように息を詰まらせた黒子に、

黄瀬は耳元でクスリと笑い、そこをゆっくりと舐め上げた。

 

「ァ、ァッ‥‥ はっ、ぁ‥‥」

「そうそう、そういう色っぽい声、もっと聞かせてよ」

 

鼓膜を濡らすようにしっとりと囁かれ、

震えるほどの快感が足の先まで走り抜ける。

 

その愉悦に逆らうのは並大抵のことじゃなくて、黒子は苦しさから呼吸もままならなかった。

 

「いいから、‥は‥やく、終わらせてください‥‥っ」

 

ここで流されたら同じことの繰り返しになると知っているから、黒子は頑なに理性を手繰り寄せる。

けれどその徹底した態度が、逆に黄瀬の加虐心に火を点けることを知らない。

 

「そう言われても、声も出さない、腰も振らないだったら、こっちも萎えるんスけど」

「‥最‥低、ですね‥」

 

どうしてこんな人のことを一瞬でも好きだと思ったのか、

わざと揶揄するような口振りに沸々と怒りが込み上げた。

 

この身体にしか興味がないことは分かっている。

そこから始まった関係なのだから、それ以外は望まない。ただ、

 

快楽、凌辱、翻弄

きっとそれにしか興味がないことに心が荒む。

 

胸がキリキリと痛み、黒子は込み上げる嘔吐感に耐えた。

 

「イイ声で啼いて、オレのことその気にさせてよ」

 

黄瀬は口を押さえられないよう黒子の両腕を背中で組むと、

そのまま後ろから激しく突き上げた。

 

「ひ、ぁッ、‥い、やだっ‥‥」

「そんな言葉が聞きたいんじゃないんスけど」

「もう、‥やめてください‥‥っ‥」

「ほら、もっと喘いで?」

 

言いながら腰を擦り付けるように黄瀬が奥まで入り込み、黒子の視界が徐々に霞む。

 

「ァ、ア、ぁあっ‥‥ハッ‥‥、ん、く‥‥っ‥」

「あぁ、やっとイイ声になってきたっスね」

「ぁ、や‥‥っ‥」

「朝までまだまだ時間もあるし、これでようやく楽しめそうっス」

 

その台詞に黒子は目を見開いて振り返った。

 

「なっ、もう散々やったじゃないですか‥っ、」

 

事実、黒子はこれまでに何度も吐精させられ、

背中を預けなければ身体を支えることも半ばできない状態だった。

 

「これ以上は身体が持ちません」

「そんなこと知らないっスよ」

 

けれど黄瀬は冷たく言い放ち、身を切るような台詞に黒子は息を飲む。

 

「なんでそこまで‥」

「なんで?」

 

その問いに黄瀬は訝しげな声を上げ、

けれどすぐ悟ったようで、耳元に甘い吐息を注いだ。

 

「足りないんスよ、いくらヤっても」

 

艶を持った声に心臓がドクリと高鳴り、

これが後ろから囁かれた言葉でよかったと、黒子は密かに安堵した。

 

その真意に関わらず、思っている相手が自分を求める姿を目にして、

内に秘めた思いを制御できるほど今は強くない。

 

固く声を殺していたのも理由は同じで、

与えられる快楽に溺れて、これ以上堕ちていくことに耐えられなかった。

 

「そんなことこっちだって知りません」

 

そうやって必死で耐えていたことを、根底から覆される予感。

その恐怖に黒子は戦慄した。

 

「もう十分ですよね」

 

そう言って黒子は強引に身体を引き剥がそうとしたが、

黄瀬がそれを赦すはずもなくて、簡単に逃げ道を塞がれる。

 

「相手してくれるって言ったのはアンタっスよね」

「してるじゃないですか」

「だったら最後まで付き合うのが筋なんじゃないんスか?」

 

あのときは避けられなかったとはいえ、

迂闊だったかもしれない昼間のやり取りを黒子は後悔した。

 

「それともアンタ、約束も守れないの?」

 

身体にしか興味がないくせに、

そう言われてしまえば成す術のない黒子の性格をよく知っている。

 

黄瀬は口を噤んだ黒子の様子にふっと笑みを浮かべ、

掴んでいた両手を解放してやると、そのまま膝裏へ腕を伸ばした。

 

グイッと容赦なく両脚を左右に開き、黒子の身体を軽々と持ち上げ、

それを勢いよく落とすことで、再び激しい抽挿をはじめる。

 

「ひぅっ‥ぁ、ぁ、ァア‥‥ ‥ぅ、っぁ‥ ヤメッ‥‥」

 

立て続けに打ち付けられる刺激に唇を塞ぎたくても塞げず、

けれど与えられる快楽に淫する身体は、強くその先を求める。

 

悪夢のような負の連鎖は苦痛と隣り合わせだった。

 

「これが最後なんだから、アンタも楽しめば?」

 

表情のない声に、見えない傷口がさらに深く抉られる。

そして追い打ちを掛けるように次の言葉。

 

「本当は好きなんスよね?」

 

ビクっと肢体が大きく波打って、その瞬間、心臓が止まるかと思った。

 

何を‥?

誰を‥?

聞けない苦しさと、

分かっていてそれ以上何も語らない唇に胸が焼け付く。

 

この人はやはりすべてを知っているのだろうか。

だとしたらやはり、この先にあるのは痛みと苦しみだけなのか。

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